私の母と佐伯の戦没画学生、そして戦争について

お盆も近いし、終戦記念日も近いこの時期に伝えたいことがある

母と私.jpg
私の母はこの佐伯に親戚から養女として迎えられ、小学校から女学校までをほとんどなんらかの形で
戦争に関わって暮らしていた

生まれた時代が違っていれば楽しい青春時代を謳歌したのであろうが、ちょうど母が女学生だったころは第二次大戦の終盤で、母の話によると勉強などはほとんど出来なくて
病院の看護補助や軍の交換手などばかりを行っていたらしい

鹿児島の知覧等に向けて出発する気持ちの優しいたくさんの方たちを見送り、そしてほとんどの方が帰って来なかったという話を、小さい私に悲しい顔で話していたことを覚えている

(写真左は60年前の母と私である)

片岡進さん.jpg

私がいま佐伯の山際通りでお借りしている片岡邸にも
片岡進さんという方がおられて、東京の画学生であったが
佐伯で招集を受けて亡くなられている

(写真右の方が片岡進さんであるが、画学生のころ
モデルたちがざわつくほどの美男子だった)

DSCN7057newnew.jpg

彼の作品は長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」に収蔵されているが、半年ほど前にこの片岡邸で「猪熊弦一郎が愛した町」を開催したおりに、片岡進さんの友人であった方の未亡人から実は進さんの作品を預かっているのでお返ししたいという申し出があり、片岡邸の主である片岡篤さんが裸婦の石膏像(写真下)をうけ取られたが、佐伯にあるのがふさわしいだろうということで、今は片岡邸で行っている喫茶店の片隅に飾らせてもらっている

つい最近、片岡邸の2階を掃除していたところ、片岡進さんの中学時代の通知表や、進さんが書いたのであろう絵画数点が出てきた

それらは進さんの写真の近くにすべてを並べることにしたが、不思議なことに石膏像の顔が柔らかく見えてきた
光の加減や気のせいであろうが、もしかしたら見つかった絵画等はお盆が近づいてきたこともあり、進さんが私に教えてくれたプレゼントで、石膏像の柔和な顔は、見つけてくれてありがとうという進さんの気持ちの表れなのかもしれない

もし、戦争がなければ、この佐伯で私の母と進さんが出会い
恋をしていた可能性だってあるし
進さんももっともっと沢山の作品を残せていただろう

(下の写真があらたに見つかった作品)

DSCN7064newnew.jpg我々はあれもしたい、これもしたいがなかなか出来ないなどと
贅沢なことを言うことがあるが
やりたいことを何も出来ない時代があったのだ

戦争のきな臭い匂いがしだしている今、決して繰り返してはならないという
教訓を彼らたちが教えてくれている気がする
そして、戦争に突き進んだ日本だからこそ出来ることは他にもっとある

すーさん

すーさん

大分県佐伯市

地域おこし協力隊として 京都から佐伯にやってきてはや一年半 朝のあいさつ「おはようっすー」から いつのまにか「すーさん」です 釣りバカからではありません

コメント

hisakoikeda

やりたいことが何もできなかった時代があった。本当に二度とそんな時代はごめんです。
片岡進さんとお母さまの恋、なんてロマンチックな物語でしょう!!きっと戦争がなければ・・・
それにしても、お母さまはなんてお美しいのでしょう!!

この投稿者の移住ブログ

大分県佐伯市(さいきし)の移住ブログ