西郷隆盛の足跡を辿る① ~明治10年8月11、12日~

みなさま、NHK大河ドラマ 西郷どん はご覧になってますか!?
いよいよクライマックスも近し!という事で、ますます目が離せません!

実は私の住む延岡市北川町は、あの西郷隆盛とも少なからず、いや、むしろ歴史的に重大ともいえる関係があるのです!

自分の住んでいるところの歴史や出来事を知ることは、移住生活を楽しむ上でとても有意義な時間になると思います。
新しい生活に慣れてきたら、ぜひ、地域のことを色々と調べて見てください。

北川町で薩軍の解散という重大な決断をした西郷隆盛


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【最後の軍議の様子を再現:西郷隆盛宿陣跡資料館】

コアな西郷隆盛ファンならご存じの方も多いかと思いますが、延岡市北川町は西南戦争において官軍との戦いに敗戦を重ね、窮地に追いやられた西郷隆盛が、薩軍の解散布告令を出した場所であります。

西郷隆盛が解散布告令を出し、西郷隆盛と西郷と運命を共にすることを決めた約600の兵は、宿陣地となった児玉熊四郎宅(現:西郷隆盛宿陣跡資料館)の裏に聳える可愛岳(えのたけ)を越え、鹿児島までの敗走を始めます・・・。

DSCF1012.JPG【延岡市北川町にある西郷隆盛宿陣跡資料館 奥に聳える山が可愛岳】

事実上、西南戦争の終決地点とも言える北川町。

明治10年8月に、西郷隆盛が北川でどのように過ごしたか。
その場所の現在の写真と合わせて、時系列で追っていこうと思います。

明治10年8月11日 延岡を舟で出発、北川へ向かう

官軍が薩軍本営のおかれている延岡に迫ってきたため、西郷たちは延岡城下から舟で五ヶ瀬川を下り、東海をへて北川を遡りました。 

西郷川上り.png

地図上の黄色いラインが、延岡城下から北川へ舟で向かった西郷たちの進路図(予想)です。

西郷たちは延岡城下の五ヶ瀬川から川舟で、五ヶ瀬川と北川の合流点である東海へ下りました。

DSCF1030.JPG【現在の延岡城跡近くの五ヶ瀬川】

DSCF1020.JPG【現在の五ヶ瀬川と北川の合流点。画像の手前が五ヶ瀬川、堤防を挟んで奥が北川】

五ヶ瀬川と北川の合流点からは、正面に可愛岳が見えます。

この時にそこに見えている可愛岳の麓で解散布告令を出し、可愛岳を越えることになると、西郷隆盛は想像したのでしょうか・・・。

明治10年8月12日 濁流に翻弄されながらも、北川の可愛(え)に到着した西郷隆盛

東海をへて北川を遡ろうとした西郷でしたが、大雨による濁流のため思うように進めず、舟中で一泊。
翌8月12日に北川の可愛に着きました。

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【北川町俵野の天満宮から西郷の舟が到着した可愛を望む 画像中央の赤い屋根の建物が児玉熊治宅(現・西郷茶屋)】

西郷たちは川沿いの児玉熊治宅で昼食をとります。
何を食べたのでしょうね?夏の北川町なので、名物の鮎はあったのではないでしょうか!?

DSCF1035.JPG【西郷茶屋の敷地内、北川沿いの場所にある西郷さんの看板】

西郷茶屋の敷地内、まさに西郷たちの川舟が接岸したと思われるところに、西郷さんの看板があります。
すぐ裏には豊かな水を湛える北川。

北川町熊田の吉祥寺でひとときの安らぎを得る

児玉熊治宅で昼食を終えた西郷さんは、熊田へ向かいます。

熊田に着いた西郷さんは、熊田の山腹に建つ吉祥寺で一泊します。

PA240668.JPG【熊田の吉祥寺】

その時、西郷さんは当時の住職、一山(いちざん)和尚から、北川町の川坂から取り寄せた蕎麦粉で作った"そばがき"をご馳走になり、とても喜んだそうです。

なんと、七杯もお代わりしたとか。

その時、西郷さんが使ったとされる茶碗が、西郷隆盛宿陣跡資料館に展示されています。

西郷どんのお茶碗

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【西郷隆盛宿陣跡資料館に展示中のお茶碗】

小ぶりで可愛いお茶碗なので、おかわりしたくなります!でも、七杯はなかなか・・・。

体格の良い西郷さんらしいエピソードです。

吉祥寺でひとときの安らぎを得た西郷隆盛。


吉祥寺で一泊した翌日、明治10年8月13日に西郷隆盛はひとつの大きな決断をします。

つづく。

延岡市

延岡市

宮崎県北部広域行政事務組合

延岡市は、東九州地域の中心的都市として、旭化成を中心とする工業集積をはじめ農林水産業などの多彩な産業を有するとともに、海・山・川の自然に囲まれ、歴史的には内藤家七万石の城下町として栄えてきた、産業と自然や歴史・文化が調和したまちです。

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