長野県・善光寺ゆかりのお堂が三重県・大台町にあるのはなぜ?

みなさんこんにちは!大台町キャスターマミです!

大台町には、熊野古道「伊勢路」の一部が、町の東部を通過しています。

熊野古道伊勢路は、江戸時代に伊勢神宮へのお参りを済ませ、「熊野三山」を目指す旅人などが多く歩いた庶民の参詣道でした。

お伊勢さんから熊野三山までは、峠を数箇所越えながら5日間くらい歩き通しの旅だったそうです。

熊野古道伊勢路沿いには、いくつもの旅籠があったそう。

大台町に残る、建物のひとつを紹介します。

旧旅館「阿波屋」

熊野古道伊勢路、大台町下楠(しもくす)に残る旧旅館「阿波屋」。

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過去にはこの向かいにいろは屋、小松屋などの旅館が軒を並べていたそうです。

旧旅館「阿波屋」の東西の屋根の鬼瓦には、七福神があしらわれています。

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鬼瓦1.jpg

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そして旧旅館「阿波屋」のすぐ向かいには、「宝泉寺」の看板があります。

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「宝泉寺」へ続く道

2015年11月、200年振りに新築されたという大台町下楠の「宝泉寺」

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旧旅館「阿波屋」から宝泉寺に上がってくる狭い道は、平成元年に完成したそうです。

宝泉寺の敷地内には「善光寺報恩堂」があります。

誰でもお参りができる無宗派のお寺、一生に一度は善光寺参りの「善光寺」です。

明治19年に建てられ、瓦の葺き替えは1度されたそうですが、建物は当時のまま。

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どうして善光寺とゆかりのあるお堂が、遠く離れた三重県の大台町に建てられたんでしょうか。

住職に詳しくお聞きしました。

「善光寺報恩堂」が建てられた由来

神の国だった日本に仏教が伝わった時、仏像も一緒にやってきました。

ある時けんかが起こって、ご本尊が捨てられた!

そのまま時が経ち、古墳時代、長野の本田よしみつが関西出張からの帰りに池から声を聞いたそうです。

「助けて~!私を連れて行って~!」

よしみつはご本尊を背負って長野の我が家へ持ち帰りました。

その後よしみつが建てたのが「善光寺」

よしみつは漢字で「善光」です。

普通お寺は檀家さんとの繋がりで成り立っていますが、誰でもお参りのできる善光寺は、信者さんからの寄付金やお賽銭で維持・管理されています。

そこで、維持していくために、御分身を御厨子におさめて各地に出向いていき寄付を集める「出開帳」がされるようになりました。

歌舞伎の演目で「勧進帳」をご存知と思いますが、弁慶が背負っている姿がまさにそれです。

さて、時は明治9年、出開帳に出向いていて現在の大台町に差し掛かった時。

「伊勢暴動」が勃発しました。

現在の松阪市七見町から始まったといわれる税金アップに対する農家さん達の暴動ですが、一晩のうちに大台町のあたりまで広まった!

最終的には軍隊が出て止めたというほど激しい暴動

御厨子を背負って騒ぎに合ってしまい、担いでいた人は御厨子を置いて逃げ帰ってしまった!

その御厨子を、当時の宝泉寺住職が見つけ、「ご、御分身だ!!」と驚いたそう。

雨に当たってはいけないと慌ててお寺に持ち帰り、善光寺に「引き取りにきてください」と手紙を出しました。

中々返事が来ないので、住職が善光寺に出向いていき、わけを話したそう・・・

すると、「出開帳は明治9年で終わったので、よろしければそちらのお寺でおまつりください」とのこと。

帰った住職は地元で相談し、お金を出し合って3年後お堂が完成。明治19年のことでした。

周りの和尚さんにも集まってもらい、3日間かけて落慶法要を済ませました。

実はこの御厨子、神輿型なんです。

鳥居も付いています。

神様のお力もいただいて守ってもらおう!ということだそう。

善光寺関連のお寺は全国各地にありますが、神輿型の御厨子は全国で2つしか見つかっていないそうです。

あとがき

今回は、旧旅館「阿波屋」と、「宝泉寺」の敷地内にある「善光寺報恩堂」を紹介しました。

かつての人々が遺した郷土の形。歴史と文化を、地域の方々が大切に守っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます♪

大台町キャスターマミ

大台町キャスターマミ

三重県大台町

大台町地域おこし協力隊

コメント

茂谷知己

仏像が捨てられていた池というのは、どの辺りにあったか、ご存知でしょうか。

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