言語化される脳内のはなし

はっとしてぐー

どもども、たっちーです。

更新してませんか、毎日。
年中無休で記事書いてます!が唯一にして最大のウリだった本ブログ、積み上げるのは簡単ですが崩れるのは実にアッという間ですね。
「力抜きます」宣言をする以前は、半ば憑りつかれていたのだろうかと思うほど夜な夜な更新していましたけれど、今は何の罪悪感もなくスキップするように。

良いのだか、悪いのだか。
分からんですが、とにかく最近はマルチにやらなければならぬ何やかやが増えて、単純な活動記録や日々とりとめなく思ふことを書き連ねる時間の優先順位が下がってしまったのかもしれません。



しかし、紛いなりにも(?)文学系の学部を出た人間としては今更な発言ですが、「書く」というのは実に面白い行為です。
そこに費やした時間と思考の深さは必ずしも比例しないけれど、頭あるいは心のなかのことを文字にして残そうとすることは、自分自身と向き合うことに他ならず。

お茶を一服飲んだり、本を読んだり、好きな音楽を聞いたり......も同じように、ゆっくりした自分の時間じゃない? とも思われるかもしれませんが、書くのは能動的。
音楽をやる方々にとっては、楽器や歌を演奏するのと近いかも?

ほんで、昨今はSNSのおかげでみんなが日々のひらめき、想い、やったコトや行った場所なんかを文字にして発信する文化が定着してきているわけですが、例えばFacebookだと【】に閉じられた「ご報告」の類、インスタだと充実した人たちのオシャピク、Twitterは闇のつぶやき......的な、一定の縛りのようなものが出来がちで、それらに嫌悪感・違和感を覚えるSNS自体使わない。



まぁ、ブログにしたってハードルが高い、いやいや自分についてそんな書くことないし、なんて言われたりもしますが、(私の場合は)基本的に他人の投稿が目に入らない、直接的なリアクションを気にせずに済むので案外、楽だったりします。

つらつら続けてしまったけれど結局何が言いたいかって、忙しくても余裕がなくとも、自分について、あるいは自分が考えるあれやこれやについて書くことは、頭や気持ちの整理につながる......少なくとも私にとっては、毎日とは言わずとも定期的に必要なことなのだろう。

と、書かない日を経て思うのでした。

今日は朝からどうにもモヤッとする、なんでやろ、と書き始めましたから、書き終わる頃には......あれ、やっぱ分かんないや。
でも、モヤッとをアウトプットした分だけは、スッキリしたような気がしなくもない。とさ。

ほんじゃ!

たっちー

たっちー

高知県四万十町

2016年8月より四万十町地域おこし協力隊に着任した、文系院卒の元日本語教師(28歳・独身・女)。前職の経験を生かし、「子ども」や「学校」をキーワードとしたイベントの企画・運営に奮闘する。 また着任以降、「高知ことば」を一記事につき一語取り上げながら、日々の活動を綴るブログを毎日更新中。四万十の人と自然、文化をより広く発信せよ! とのミッションのもと、2017年1月より「田舎の暮らし方」ブログの執筆を担当。 過去の投稿はこちら「日本語教師の高知ほうろうき」http://taccis.blogspot.jp/

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