きょなん町と源頼朝の関係って?〜教科書にのらない歴史を学ぶ

今月、千葉県鋸南町では、「頼朝まつり」が開催されています。あれ? 源頼朝って、鎌倉幕府を作った人じゃないの? どうして、鋸南町で「頼朝まつり」やっているの? と思う人、いると思います。実は、頼朝が平家との戦いで追い詰められ、舟で安房国(現、南房総)に逃れ、再起をはかったという歴史があるのです。頼朝が流れついたのが鋸南町です。このほど、その足跡をめぐる「頼朝史跡めぐりツアー」が実施されました。

根拠は、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」

頼朝が平家に敗れ、安房国に滞在したのはわずか14日間と言われています。今回は、その14日間の足跡をたったの半日でめぐりました。

案内してくれたのは、鋸南を知り尽くしてる4人のガイド。今回のツアーには、28人が参加しました。

鎌倉時代に編纂された歴史書「吾妻鏡」によると1180年、頼朝が「猟島」という場所に着いたことが記述されています。この「猟島」が今、鋸南町にある「竜島」と言われています。ちゃんと、上陸した場所に、石碑がたってあるんですね〜。

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ちなみに、この竜島には、頼朝のお世話をした村民に、頼朝が姓を与えたという伝説があります。当時、姓を持たなかった村民にとって、名誉なことであったと言われています。

これは、神明神社です。「吾妻鏡」によると、頼朝はここで平家打倒のため次なる方策を練った、と言われています。ガイドの説明に、参加者はみな聞き入っています。

神明神社.jpg

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鴨川市、南房総市の神社も訪れる

鴨川市にある波切不動(なみきりふどう)に到着しました。ここには、駒穴という洞窟があり、入ることができます。中がすべりやすいため、晴れた日に入るのがおすすめ。頼朝が名馬、太夫黒(たゆうぐろ)を見つけた場所とも言われています。

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太夫黒は頼朝の愛馬となり、のちに義経に与えられられます。歴史に残る源平合戦「一の谷の戦い」で、鵯越え(ひよどりごえ)の逆落としをした、とも言われています。

これは大杉が印象に残る、南房総市の下立松原神社です。この神社には、鳥居がないのですが、実はこの2本の杉が鳥居の代わりなのです。立派な杉ですね〜。圧倒されます。

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頼朝はここで武運を祈願し、海上から昇る朝日を拝んだと言われています。

これ以外にも、頼朝の足跡は南房総の各地に残されており、たった14日間の滞在で、平家を打倒するため、いかに頼朝が精力的に動いていたかが分かります。

ちなみに、鋸南町の「頼朝まつり」では、道の駅きょなんで、先日、甲冑隊によるミュージカルも開催され、たくさんの人で賑わいました。

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まとめ

鋸南町に移住するまで、平家に敗れた源頼朝が安房国にやってきて、再起をはかったという歴史があること、私は知りませんでした。鋸南町には、頼朝桜という早咲きの桜がありますが、頼朝が上陸した土地にちなんで、この名前がつけられたのです。

どんな町にも、歴史があり、そして物語があります。その地域の歴史を知ると、教科書に出てくる登場人物が身近に感じられたりします。

歴史もまた、その土地の財産です。歴史や伝説を後世に紡いでいくことも、きっと町づくりの一つなのでしょう。

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きょなん町地域おこし協力隊シミズ

きょなん町地域おこし協力隊シミズ

千葉県南房総地域

東京生まれ、東京育ち。気候のよい地方の生活にあこがれ、2018年9月から、千葉県の鋸南町(きょなんまち)に移住。東京・目白にある女子大を卒業後、「たくさんの人と出会いたい!」という好奇心から、10年間、新聞社、雑誌社で記者の仕事を経験。忙しすぎる生活に疑問を感じ、一般社団法人に転職するも、2016年、経営難のため退職。「人生何があるか分からない」ことを思い知り、大学の短期カリキュラムに入学。生き方を模索する。ローカルライフに興味を持つ中で、地域おこし協力隊という制度があることを知り、鋸南町に応募、思わず採用される。アラフォー過ぎ。なぜか独身。さびしいはずもなく、人生を謳歌中♪ 都会の女性が単身で地方に移住し、体験したこと、日々考えることをつづっていきます。

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